木村栄が「計算の神様」へ贈った書、盛岡の酒屋店頭で長く親しまれる(特別企画展で紹介)
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- tanko 2024-2-27 9:20
写真=木村栄が飯坂タミ子さんに贈った書を手にする平井美根子さん
国立科学博物館の馬場幸栄研究員と、胆江日日新聞社が主催する特別企画展「木村栄(きむら・ひさし)の書展」に、“計算の神様”と称賛された飯坂タミ子さん(故人)に木村が贈った書が展示される。飯坂さんの娘で、書を管理している平井美根子さん(78)=盛岡市山王町=は「母は宝物のように、木村先生の書や緯度観測所時代のものを大事に保管していた。馬場さんの研究のおかげで、消えてなくなりそうなものにも価値を見いだすことができた」と喜んでいる。同展は3月2日から10日まで、水沢星ガ丘町の奥州宇宙遊学館で開かれる。(児玉直人)
緯度観測所に勤務していた当時の飯坂タミ子さん(平井美根子さん提供)
昨年12月、盛岡市紺屋町の酒屋「平興(ひらこう)商店」が惜しまれつつ閉店した。2022年に雫石町へ移転した本県最古の造り酒屋「菊の司酒造」の向かいにあり、店で買った酒をその場で飲める「角打ち」というスタイルが人気だった。美根子さんは、30代のころから夫の実家が営む同商店を手伝い始めた。
“のんべぇ”たちが談笑する様子を静かに見守るように、店の奥に掲げられていたのが、「虚心坦懐(きょしんたんかい)」の書。美根子さんの母、タミ子さんが緯度観測所職員時代、初代所長で「Z項」を発見した木村から贈られた。「心に先入観やわだかまりがない素直な気持ち」という意味がある。
タミ子さんは1918(大正7)年2月20日に水沢袋町で出生。14歳で観測所に就職した。最初の仕事は庶務課の給仕。いわゆる「お茶くみ」だったが、35人ぐらいの所員全員の湯飲み茶わんの形や色をしっかり覚えていたという。16歳で計算の仕事を任されると、一度もミスをしたことがなく、同僚から付けられたあだ名が“計算の神様”だった。
優秀な仕事ぶりが評価されたものの、結婚を前に1940(昭和15)年に22歳で退職。翌年、飯坂家の座敷で婚礼の儀が行われたが、そこに掲げられていたのが木村揮毫の「虚心坦懐」だった。
やがて美根子さんが誕生するが、観測所のことを詳しく知ったのは、タミ子さんが晩年になってから。2010(平成22)年8月5日にタミ子さんが亡くなるまでの間、さまざまな話を聞いた。タミ子さんは木村の書のほか、3代目所長の池田徹郎が書いた絵画、当時観測所で撮影した写真なども大事にしていた。平興商店が閉じた現在、木村が揮毫した書などは、花巻市内の持ち家で保管している。
美根子さんは「私が小さいころは気に留めなかったが、今はとても大切な宝物だと感じる。緯度観測所時代の仕事が、母の人生を幸せなものにしたと思う」と話している。
特別企画展「木村栄の書展」の観覧には、宇宙遊学館の入館料(一般300円、児童・生徒150円)が必要。時間は午前9時から午後5時(午後4時半までに入館)。期間中の5日は休館日。