人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)
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tanko 2020-10-28 11:10


左上から右へ、緯度観測所長の木村栄(1899年9月〜1941年4月《臨時緯度観測所時代含む》)、川崎俊一(1941年4月〜1943年1月)、池田徹郎(1943年1月〜1963年5月)、奥田豊三(1963年5月〜1976年6月)、坪川家恒(1976年6月〜1986年3月)。国立天文台地球回転研究系主幹の若生康二郎(1988年7月〜1991年3月)、笹尾哲夫(1991年4月〜1993年3月)、横山紘一(1993年4月〜2000年3月)、河野宣之(2000年4月〜2002年3月)、真鍋盛二(2002年4月〜2004年3月、2004年4月〜2006年3月は国立天文台水沢観測所長)。国立天文台水沢VERA観測所長の小林秀行(2006年4月〜2010年3月)。国立天文台水沢VLBI観測所長の川口則幸(2010年4月〜2014年3月)、本間希樹(2015年4月〜 )=敬称略
★注1…1988年7月から2004年3月は「地球回転研究系」と「水沢観測センター」が併設され、「地球回転研究系主幹」が所長に相当する役割を担った。
★注2…1986年4月〜1988年6月は細山謙之輔、2014年4月〜2014年11月は小林秀行、2014年12月〜2015年3月は高見英樹の各氏が所長事務取扱者を務める。


 木村榮記念館の管理を担当する国立天文台水沢VLBI観測所の亀谷收助教は「木村博士は当時、最も著名な科学者の一人だった」と語る。連載の最終回にあたり、木村博士にまつわるエピソードなどに触れたい。


写真=水沢図書館に保管されている木村栄博士8歳の時の書(原物)

 木村博士は金沢市の篠木家に生まれ、1歳で親戚の木村家の養子となる。塾を開設していた木村家では、朝から晩まで勉強漬けの日々。その一端をうかがわせるものが、奥州市立水沢図書館に保管されている。4歳と8歳の時の書で、子どもが書いたとは思えないほど達筆だ。複製品は同記念館に展示されている。
 臨時緯度観測所長として赴任したのは29歳という若さ。その当時の有名な逸話が「ベロリでがす」だ。
 観測所予定地に足を運んだ木村博士は、案内人の水沢町長(当時)に、どの辺が使える土地なのか尋ねた。町長は「この辺、ベロリでがす」と答えた。木村博士は、町長のなまり言葉が理解できず、「ここはベルリンというのですか!」と驚いたという。観測所の歴史を調査・研究している一橋大学社会科学古典資料センターの馬場幸栄助教は、木村博士の水沢赴任までの時間的経過などから、「ベロリでがす」と語った当人は、第5代町長の柳沢高令氏(在任1899年5月2日―1901年3月13日)と推測している。
 1941(昭和16)年4月、木村博士は緯度観測所を退官。2年後の43年9月26日、東京世田谷の自宅で72年の生涯を閉じた。多磨霊園の木村家墓誌には「理宙院殿釋旻榮大居士」の戒名が刻まれている。


写真=書をしたためる木村栄博士。池田徹郎・3代所長の随筆『めたせこいや』によると、所員や市民から書を求められることが多かった木村博士は、自分の誕生日になると朝から所長官舎でまとめて揮毫していた。奥の間に書き終えた大量の書が見える=(C)馬場幸栄

 退官直後、木村博士は「科学する心」と題し講話。その肉声が残っており、次のようなことを語っている。
 〈「科学する心」は子どものうちから、ちゃんとある。しかし、成長するに従って「科学する心」は減っていく。また「星の研究をしなければ、科学する心じゃない」という人もいるが、それは間違っている。商売一つにしても、何かを作るにしても必ず「科学する心」を持たなければいけない〉
 「今の時代にも通じるものがある」と亀谷助教は、肉声を聞きながらしみじみと語る。
 緯度観測所は88年、東京天文台、名古屋大学空電研究所と統合し、国立天文台に改組される。
 観測対象や手法も時代とともに変化。夜間観測に限られていた光学式望遠鏡から、昼夜問わず観察できる電波望遠鏡が主力に。地球の動きを研究対象にしていたが、現在は地球から遠く離れ自ら姿を見せない「ブラックホール」の謎に迫っている。本間希樹所長はじめ天文台関係者は、木村博士が水沢で花開かせた科学者精神を受け継ぎ、今日も研究にいそしんでいる。
(おわり)
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tanko 2020-10-27 13:40

写真=大きく「×」印が書かれた観測野帳(左)と、きれいに清書された観測野帳(右)

 国立天文台水沢VLBI観測所の敷地内には、緯度観測所開所当時の観測記録や天文学に関する国内外の専門書などを保管する図書館がある。一般には公開していないが、VLBI観測所の亀谷收助教が特別に案内してくれた。
 亀谷助教が最初に見せてくれたのは、黒い表紙の冊子。観測時のデータを記録した観測野帳の原物だ。
 その一冊の最初のページには「Dec.16」とあり、観測データの数字がきれいに記されている。もう一つ、別な野帳には「December 16」と筆記体で記され、同様の数字が並んでいるが、最初の野帳のように整った書き込みではない。記載事項を訂正するかのような線が乱雑に引かれ、さらに大きく「×」と書いてある。
 Decemberは英語で12月。Dec.はその略記。「12月16日とは1899年、明治32年の12月16のことで、木村栄博士が水沢での観測を最初に行った日です」と亀谷助教。「おそらく、観測現場で書き込んだものを後で清書したんでしょう」と語る。木村榮記念館では、整った数字が並ぶ清書された方のコピーを公開している。


写真=国内外の論文集や書籍がぎっしり並ぶ水沢VLBI観測所の図書館

 真冬の水沢で始まった緯度観測。地球の自転軸のふらつき(極運動)によって生じる緯度変化を詳細に研究するのが目的だった。ところが観測開始からしばらくして、ドイツの中央局から「水沢の観測結果は誤差が大きい」と指摘を受けた。
 その指摘内容は論文にまとめられ、1901年7月、ドイツの専門雑誌『アストロノミシェ・ナハリヒテン(Astronomische Nachrichten)』に掲載された。同雑誌は天文学分野初の国際学術雑誌で、創刊から約200年たった現在も発刊され続けている。
 論文を書いたのは、中央局長だったカール・テオドール・アルブレヒト(1843〜1915)。当時の雑誌が図書館に保管されている。「水沢の全観測結果は他の観測局の結果とほとんど一致しておらず、この観測所の外乱が原因だと疑う余地はありません」などと記されている。
 指摘を受けた木村博士は、悩みながらも研究を続けた。その結果、全ての観測地点で季節により緯度が大きくなったり、小さくなったりしているのに気付いた。当初「Δφ = x cosλ + y sinλ」と表されていた緯度変化を表す式に、木村博士は謎の緯度変化を示す値(項)を加えた。すると誤差は小さくなった。
 その加えた項が「Z項」なのだが、最初から「Z」と記されていたわけではない。木村博士は、科学や数学で「未知数」を表すのに用いるギリシャ文字「ξ(グザイ)」を当てていた。
 アルブレヒトの指摘が雑誌に掲載された約半年後の1902年1月、木村博士は『アストロノミシェ・ナハリヒテン』などに、いわゆる「Z項の発見」に関する論文を発表した。記載された式は「φ − φ0 = ξ + x cosλ + y sinλ」となっているが、ほどなくして「Δφ = x cosλ + y sinλ + Z」の式が使われるようになった。


写真=ドイツの専門雑誌に掲載された木村栄博士の論文。謎の緯度変化を示す項には当初「Z」ではなく「ξ」を使っていた

 水沢VLBI観測所の名前を一躍有名した「ブラックホール」は、かつて「崩壊した星」を意味する「collapsar(コラプサー)」などと呼ばれていたという。今、それを知る人は天文学によほど詳しい人ぐらいではないだろうか。
 ギリシャ文字の「ξ」は、「グザイ」のほか「クサイ」「クシー」とも発音するという。現在、水沢地域の至る所で、木村博士の功績にあやかり「Z」の名がついた施設や組織を目にするが、もし「ξ」のままだったら……。
 ※…新聞表記では、木村の名前は常用漢字の「栄」を使用していますが、記念館の正式名称は旧漢字の「榮」を使用しています。
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tanko 2020-10-21 9:10

写真1=「所長室」を再現した部屋

 「所長室」を再現した館内の一室に掲げられている木村栄博士の肖像画。1930(昭和5)年、還暦祝いに職員が贈ったものだ。
 肖像画は、県議会議長なども歴任した紫波町出身の画家・橋本八百二(はしもと・やおじ)氏が描いた。一橋大学社会科学古典資料センターの馬場幸栄(ばば・ゆきえ)助教は、数年前から国立天文台水沢VLBI観測所内の図書館を調査。大量のガラス乾板を発見した。その中に、完成間もない肖像画と共に写る木村博士と橋本氏らの姿があった。


写真2=ガラス乾板よりプリントした、肖像画完成間もないころの写真。左前列から木村真佐喜(木村の妻)、木村栄、橋本八百二、大川英八(画家)、小泉一郎(同)。後列左から山崎正光(所員)、吉田伊之吉(同)、池田徹郎(同、後の3代目所長)=(C)馬場幸栄

 木村博士の背後に、ぐるぐると描かれた落書きのような線が見える。馬場助教によると、国際緯度観測事業の観測結果により得られた地球極運動を示した「掛け図」だという。現在のようにプロジェクターやパソコンを使って図を表示できなかった時代、学会や講演会では掛け図を壇上に掲げ、説明していたという。
 よく見ると、中央に垂直にうっすらと線が引かれ、その下には「英国 X」と記されている。経度がほぼ0度のグリニッジ子午線(かつての本初子午線)を示していると思われる。馬場助教は「この極運動の図のX軸は『グリニッジ子午線を基準にしていますよ』という意味になる」と説明する。


写真3=肖像画に描かれている極運動の図。図の下に「英国 X」や「Carloforte」の文字がうっすら見える

 グリニッジ子午線から少し右斜め方向に引かれた線の下には「Carloforte」と記されている。イタリアの緯度観測局が置かれたサン・ピエトロ島のカルロフォルテのことだ。「橋本氏は、当時観測所にあった掛け図をかなり正確に描いている」(馬場助教)。
 「所長室」には、文化勲章(1回目の受章)や英国王立天文学会からのゴールドメダルが展示されている。メダルのほか、館内には木村博士が幼少期に記した書や愛用のステッキも飾られている。


写真4=水沢図書館に保管されている文化勲章の原物

 だが、これらは複製品。原物は水沢図書館に保管されている。記念館が無人施設であることや、明治期の木造建築物ゆえに温度や湿度の管理が難しいためだという。
 同図書館では、入り口左側にある展示コーナーで公開しているが、ちょうど図書館主催の企画展で場所を使用しているため館内別室に引き下げており、現時点では見ることはできない。
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tanko 2020-10-20 9:20

写真1=初代本館を利用し整備された木村榮記念館

 国立天文台水沢VLBI観測所の前身、緯度観測所の初代所長を務め、「Z項」を発見した木村栄(きむら・ひさし)博士は今月、生誕150年の節目を迎えた。新型コロナウイルスの感染防止のため、観測所敷地内の「木村榮記念館(※)」は閉館中。顕彰行事の予定もない中、紙面を通じ記念館の現状や木村博士の功績などを4回にわたり紹介する。(児玉直人)

 木村榮記念館として使用している建物は、1899(明治32)年9月に開所した水沢臨時緯度観測所(後に水沢緯度観測所)の初代本館。ただし、落成したのは開所から半年後の1900年3月だった。それまでの間、市街地の民家に臨時事務所が設けられ、木村博士らが執務していた。
 1921(大正10)年、旧本館(2代目本館、現・奥州宇宙遊学館)が建てられ、主要機能が移される。1966(昭和41)年には3代目本館(現庁舎)の建設工事に伴い、初代本館は2代目本館と共に「曳家」によって、現在地付近まで移設された。
 移設した初代本館は1967年10月27日、「木村記念館」として生まれ変わった。しかし、高野長英ら「水沢3偉人」の記念館のような先人顕彰がメインではなく、観測所の研究成果を紹介する性格が強かった。普段は施錠し、見学希望者が訪れた際に公開する体制。3偉人の記念館に比べ、存在感は薄かった。
 2007(平成19)年から2008年にかけ、大転機を迎える。2代目本館の保存活用を求める市民運動が実り、奥州宇宙遊学館が開館。電波望遠鏡付近までの見学コースも整備された。ほぼ同時に現庁舎と一緒に記念館の耐震改修も行われた。
 記念館は木村博士の功績や「Z項」解明など歴史的な資料展示する施設としてリニューアル。最新の研究成果紹介や企画イベントは遊学館に任せる一方、木村博士の名前の読み方を周知するため名称を「木村榮記念館」に改めた。
 限定公開だった時代と比べ、一般市民や観光客の入館者数は格段に増えた。木村博士の顕彰機運を高め、日本の科学史の一端を後世に伝える施設として、ますます重要な役割を果たすだろう。


写真2=新型コロナの影響で閉館状態が続く

 しかし、新型コロナの影響で今年3月から5月まで閉館を余儀なくされた。全国の感染状況が一時沈静化した6―7月に再開したものの、無人施設ゆえに遊学館のような感染対策が十分に取れないとの理由から、8月に再び閉館した。
 記念館の管理を担当しているVLBI観測所の亀谷收助教は、「ブラックホールの撮影成功や開所120周年など、何かと注目を集める話題が続いていた。木村博士の生誕150年もそれに続く機会だと思っていたが……」と語る。生誕地の金沢を含め、記念行事が企画されたという話は聞こえてこないという。

 ※…新聞表記では、木村の名前は常用漢字の「栄」を使用していますが、記念館の正式名称は旧漢字の「榮」を使用しています。
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tanko 2020-10-18 8:50

写真=駐車場が整備されるスペース。奥の平屋の建物が木村栄記念館

 奥州市は、水沢星ガ丘町の国立天文台水沢VLBI観測所(本間希樹所長)敷地内にある奥州宇宙遊学館(中東重雄館長)の駐車場を増設する。同天文台管理下の木村栄記念館西側に普通車19台分が置けるスペースを確保する予定。年内完成を見込む。
 遊学館は、取り壊される予定だった旧緯度観測所時代の2代目本館を活用し、2008(平成20)年にオープン。天文学を中心とした自然科学の世界を楽しみながら学べる場となっている。
 遊学館前に広がる現在の駐車場は、もともと2代目本館があった場所。曳き屋工法で建物を南へ18m移設し、駐車スペースとした。しかし、講演会や体験イベントが開催されるときには満車になることも。来館者の利便性を向上するため、新たに駐車場を増やすことになった。
 木村栄記念館の西側518平方メートルの用地を活用。同天文台の上部組織である大学共同利用機関法人自然科学研究機構(小森彰夫機構長)から市が無償で借り受け、市予算で整備する。
 工事請負費は、本年度当初予算に計上されており599万2000円。市によると工事完了は12月上旬を予定している。
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tanko 2020-10-18 8:40

 国立天文台水沢VLBI観測所の特別客員研究員。本間希樹所長らと共に、ブラックホールの直接撮影に挑む国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」の一員だ。「今後はブラックホールの成長や、ブラックホールから噴き出すジェットについて調べていきたい」と意欲をみせる。
 房総半島の中東部、千葉茂原市出身。身近な自然や理数の世界に興味を抱きながら育った。
 数学を究めたいと京都大学へ進学したが、「自然科学の世界、どうせなら遠い世界を」と、天文学の道を選んだ。大学院の修士課程、博士課程を含め京都暮らしは9年間。のちに夫となる吉次孝太さん(33)とも出会った。
 2014(平成26)年、博士課程を修了し東京都三鷹市の国立天文台本部へ。本間所長(当時准教授)の研究室で、ブラックホールの観測データを画像化する方法などの開発に従事した。
 長女の出産を経て2017年、水沢へ転居。既に本間所長も赴任していた。ちょうど孝太さんは、自宅で仕事ができるIT関連会社に就職。「東京に住んでいる理由、ないよね」と、岩手行きはすんなり決まったという。
 昨年春のブラックホール撮影成功。本間所長ら観測所のメンバーらと会見に同席したこともあり、ランチを食べに行った店では、「テレビ見ましたよ」と声を掛けられることも。「同じ地域で生活している私たち研究者の仕事に関心を持ってもらえるのはありがたい」と感謝する。
 とある講演会で「女の子でも理系の研究者になっていいんですね」と、女子中学生から言われた。日本国内の理系研究者は、まだまだ男性の比率が高い。「自分がこのような仕事をしている姿を見せることは、女性活躍の可能性を広げる上でも意味があるんだなと感じた」
 現状では、まだまだ難しい課題もあるが「自分の存在が変わるきっかけとなり、自然と理系研究職に就く女性が増えていけば」と願う。
(児玉直人)
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 中学と高校で吹奏楽部に所属し、大学オーケストラではホルンを担当した。水沢への転居を機に車を所有し、自由に遠出できる楽しさを満喫。「おいしいものを食べたり、産直で買い物したり。岩手をとにかく満喫しています」。水沢福原在住。仕事では旧姓の「田崎」を使用している。
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tanko 2020-10-11 8:10
 素粒子実験施設・国際リニアコライダー(ILC)の誘致推進に関わる一般社団法人「先端加速器科学技術推進協議会(AAA)」が、法律で定められている貸借対照表の公告を発足以来していなかった。報道機関からの指摘を受け今月上旬発覚。ホームページ(HP)に6年分の貸借対照表を含む決算報告書、総会議事録をまとめて掲載したが、会員からの指摘を受け、現在は公表義務のある貸借対照表のみ公開している。本紙の取材に対し、9日夕、AAAからメールで回答があり、公告していなかった事実を認めながらも、閲覧不可にした資料に係る質問は「公告義務がないので回答を控える」とした。
 AAAは2014年に設立。英字略称の表記から「トリプルエー」とも呼ばれている。
 ILC計画と日本誘致実現のため、ILC関連の技術開発、社会周知を図る広報活動を展開。広報活動では講演会の開催のほか、人気キャラクター「ハローキティ」を利用したオリジナルグッズの販売も手掛けている。
 製造系の大手企業や大学・研究機関が主な会員。2月1日現在、民間企業が中心の正会員が112社。大学などが中心の賛助会員が41機関となっている。
 役員の多くは製造大手や大学・研究機関の関係者。会長は三菱重工名誉顧問の西岡喬氏、副会長は岩手県立大学長で素粒子物理学者の鈴木厚人氏が務める。名誉会長はノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏。最高顧問には国会のILC議連会長を務める元官房長官の河村建夫氏(衆院山口3区)、特別顧問には元岩手県知事の増田寛也氏らが名を連ねる。
 貸借対照表を公告していなかった事実は、報道機関の指摘によって明らかになった。「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」の第128条では、定時社員総会の終結後遅滞なく、貸借対照表を公告しなければならないとしている。
 さらに同条第3項では、不特定多数の人が見られる状態にする必要があると規定。これらに違反した場合は、100万円以下の過料が科せられる。AAAはHPにデータを掲載してはいたが、会員だけが知るパスワードがないと見られない状態だった。
 AAA事務局長の松岡雅則氏(三菱重工)は本紙の取材に対し、「HPの改修が適切に行われていなかった。管理不足であったと反省している」と釈明。法律の公告義務は認識していたといい、「HPの運営に関して、管理体制が不十分であったと反省している。早急に体制を整え、再発防止に努める」としている。会員にはメールで謝罪したという。
 AAAは報道機関の指摘を受けた直後、貸借対照表のほか各種決算関連書や総会議事録もHPに公表したが、現在は公告義務がある貸借対照表のみ掲載。松岡氏は「会員から公開すべきでない資料(総会議事録等)も公開しているとの指摘があり、公告が必須となっている貸借対照表のみに訂正した」と説明する。
 本紙は閲覧不可能になる前の段階で、公告しなかった事実関係の確認のほか、各年度の決算関連資料などを基に、科目の意味や寄付・協力金の提供元に公共団体があるかなど複数の質問を投げかけていた。しかし松岡氏は「本来、公告義務のない収支報告書に対する質問なので回答を控える」とした。
 奥州市ILC推進室によると、AAAに対する支出はないという。
(児玉直人)
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tanko 2020-10-9 13:35
 国際リニアコライダー(ILC)に関する文部科学省への審査申請を取り下げ、約半年にわたり公表していなかった問題で、申請を担当していた高エネルギー加速器研究機構(KEK、茨城県つくば市)の山内正則機構長は8日、ウェブ講演会で謝罪した。KEKの対応を巡り、東北経済連合会(東経連、仙台市)の海輪誠会長は今月6日、会見の席上、遺憾の意を示しKEKに反省を求めた。東経連には東北ILC推進協議会の事務局が設置されている。ILC誘致団体に近い人物が、公式の場で研究者側に苦言を呈するのは異例だ。
(児玉直人)

 KEKは2月下旬、文科省が策定する「学術研究の大型プロジェクトの推進に関する基本構想ロードマップ(2020)」に係る申請書類を提出。しかし、ほぼ同時期に素粒子物理学分野の研究者組織「国際将来加速器委員会(ICFA)」が示した提言に基づき、国際協力体制の強化を進めることにした。申請書に書かれた内容よりも状況が変わると受け止めたKEKは、3月27日にロードマップ申請を取り下げた。
 ところが、KEKがその事実を明かしたのはロードマップ素案が公表された9月8日。KEKはホームページで「ロードマップの審査過程は非公開が原則だったため、報告が遅れた」と釈明。9月日には、ICFAの日本人メンバーである東京大学の森俊則教授が、ウェブ講演会の中で候補地の関係者に対し、推進派研究者の一員として「非常に大きな間違いであった」と謝罪している。
 もう一人のICFAの日本人メンバーが、KEKのトップである山内機構長。8日、東北ILC推進協が主催したウェブ講演会で「推進チームを作る動きが急激に進み、ロードマップ申請を取り下げた。半年近くそのことを発表していなかったことで、大変なご迷惑を掛けてしまった。重ねておわびしなくてはいけない」と陳謝した。
 取り下げの事実は、東北地方の誘致関係者にも伝えられていなかった。東経連の海輪会長は今月6日、仙台市で開かれた記者会見で「(取り下げによって)誘致が後退することはないと思う」とした上で、「私どもへの情報もつい先ごろで、大変その点は遺憾に思う。KEKにも公表が遅れたことについては反省を求めたい」と遺憾の意を示した。
 ILCの有力候補地・北上山地周辺の自治体首長や誘致団体を構成する経済団体の代表らは、研究者コミュニティーと長年にわたり同一歩調を取っており、蜜月的な信頼関係を構築してきた。今回の件については、KEKの取り下げに理解を示し、「実現に向け前進している」と前向きに捉える所感がほとんど。公の場で情報公開姿勢や信頼性を問う指摘は、皆無に等しかった。
 海輪・東経連会長は東北電力(株)の代表取締役会長。同社相談役の高橋宏明氏は、東経連名誉会長で東北ILC推進協の代表も務めている。
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tanko 2020-10-8 10:20

ノーベル物理学賞を受賞した3人の研究成果を解説する本間希樹所長

 今年のノーベル物理学賞受賞者が日本時間の6日夜に発表され、ブラックホール関連の研究に貢献した欧米出身者3人が選ばれた。昨年、ブラックホールの“撮影”を成功させた国際研究チームの中心的メンバーで、国立天文台水沢VLBI観測所の本間希樹所長も3人の受賞を祝福。天文学の分野から2年連続で同賞受賞者が選ばれること自体異例で、自身が進める研究の原点とも言える理論や観測に対する評価だけに、喜びもひとしおだ。「ブラックホールがいかに大事な研究対象であるかを認めてもらった。われわれの励みにもなる」と話す。
(児玉直人)

 受賞したのは、イギリス出身のロジャー・ペンローズ氏(89)=オックスフォード大学名誉教授、ドイツ出身のラインハルト・ゲンツェル氏(68)=マックス・プランク地球外物理研究所博士、アメリカ出身のアンドレア・ゲッズ氏(55)=カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授=の3人。
 ペンローズ氏は1965年、ブラックホールの中心部にある「特異点」の存在を示した人物。この世にブラックホールが形成される事実を理論的に証明した。
 一方、ゲンツェル氏とゲッズ氏は、1990年代後半から2000年代初頭にかけ、太陽系が属する天の川銀河(銀河系)の中心部を観測。中心部の天体の動き方から、太陽の約400万倍の質量を持つ強い力が作用していると結論付けた。その強大な力の根源とされるのが、巨大なブラックホールであると天文学者の間では言われてきた。
 本間所長は3人の研究成果について、「私たちが進めている研究分野の先駆けとなる成果を打ち出した人たち」と功績をたたえる。受賞者の発表に臨んだノーベル物理学委員会のデヴィッド・ハヴィランド議長が、「(ブラックホールは)将来の研究を動機付ける謎をもたらしている」と語っていたことに触れ、「私たちの研究の追い風になる」と期待を膨らませる。
 本間所長が所属する国際研究チームでは、昨年4月に画像を公表した「M87銀河」のブラックホールに加え、ゲンツェル氏、ゲッズ氏が予言した銀河系中心部のブラックホールの撮影にも取り組んでいる。既に電波望遠鏡による観測は終了しており、解析の真っ最中という。
 今回の受賞は、本間所長ら水沢駐在の研究者らにとっても驚きだった。物理学賞ではここ数十年来、素粒子・宇宙分野と物性分野の研究者が交互に選ばれていた。昨年は天文分野が受賞しており、「今年は天文はない」と思われていた。
 受賞発表と同時に、本間所長や観測所の広報担当には、全国の報道機関などから取材依頼が殺到。昨年4月に発表されたブラックホール撮影成功、さらには今年の観測所運営予算の大幅削減問題でも各メディアが大きく取り上げたことも大きい。3人の受賞者の所属機関ではないが、国立天文台も7日、公式ホームページに祝意を伝えるトピックスを掲載。本間所長のほか、同天文台の上部組織・自然科学研究機構の小森彰夫機構長のコメントも紹介している。
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tanko 2020-10-8 10:00
 文部科学省の萩生田光一大臣はこのほど、沖縄県石垣市で国立天文台水沢VLBI観測所の本間希樹所長らと面会した。本間所長によると、萩生田大臣は9月下旬、沖縄県内視察の行程の中で、同観測所が運用する天文広域精測望遠鏡「VERA(ベラ)」を構成する「石垣局」を訪問したという。
 VERAは水沢や石垣など国内4局のほか、韓国や中国などアジア諸国の電波望遠鏡を連動させた国際プロジェクトにも活用されている。しかし、同観測所の本年度当初予算が大幅に削減されたことを受け、今後の安定した運用継続に不安が残っている。
 石垣市内では、地元高校生がVERA存続に係る署名運動を展開。萩生田大臣は高校生らとも言葉を交わした。本間所長は「大臣からは『アジア諸国と組んだ観測で良い成果を出してほしい。応援している』と言われた」と話していた。

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