人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)

やっていいこと?(コラム「日高見抄(ひたかみしょう)」)

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tanko 2020-10-4 7:30
 「仕事師内閣」など自画自賛して登場した菅義偉内閣は、高い支持率で始まったが、早くも「馬脚」を現した。安倍内閣の後継とはいえ、そこまで独善的な体質になるようにはみえなかったのだが、政府系機関のありとあらゆる人事に介入し、自分たちに意見する人たちを排除しようとしているらしい。その端的な表れが、日本学術会議への介入である。
 日本学術会議(会員210人、任期6年)は、任命権そのものは内閣にある。しかし、これまでは会議が推薦した会員候補をすべて追認してきた。ところが今回菅内閣は、105の推薦者のうち6人の任命を拒否したのである。どうやら、政府に対する反対意見などを過去に述べたことが原因らしい。
 戦後、学術会議が推薦した学者を政府が拒否した例は一度もなかった。なぜかといえば、政治は学問に介入してはいけないからだ。「学の独立」は、あの明治憲法下でさえ、大学の基本だった。
 学問の何を承知で介入する破廉恥を冒しているのか。いわば総理とその周辺の幼児性による。しょせん「仲間内」に対する異常な執着の裏返しにみえる。政治の世界の感情が、学問、科学の世界にまで踏み込む愚。その罪は大きいといわなければならない。
 たまたま、安倍氏の病気による首相退任が、日本人のやさしさによる「判官びいき」につながり、高い支持率に助けられているこの機に、学術の世界にまで汚い手を入れようとする感覚。これはかなり危険な心根の内閣というほかない。しばらくは「お手並み拝見」と考えていたが、看過できなくなってきた。
 司法に影響を与えようとイエスマン検事を「検事総長」に据えようとして失敗したことと、同一線上にこの問題はあって、国民が知らないうちに、自分たちの「思いのまま」の社会をもたらそうとする、独裁者の危なさを感じる。
 携帯電話料金の引き下げ、行政改革、デジタル化といった、確かに魅力的な「仕事」を強調している。しかしその陰で、けっして行ってはならない「陰謀」が進行していることに、私たちは気づかなければならない。

■日本学術会議
 日本の科学者を代表する組織として、戦後間もない昭和24(1949)年に発足した。法律(日本学術会議法)により「独立した機関」として活動していて、麻生副総理の祖父「ワンマン」といわれた吉田茂は、その発会で「国の機関ではあるけれども、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための掣肘(自由を妨げる干渉)を受けることがないよう、高度の自主性が与えられている」とあいさつした。
 公選制から推薦制に改められた時にも、「推薦を拒否はせず、任命する。政府が干渉したり中傷したりすることはない」というのが政府の公式見解だった。
 日本学術会議は、総会で任命拒否を問題視し、政府に拒否理由開示を請求したが、政府はそれに応えていない。

 学問は、古代ギリシャでプラトンが「アカデメイア」を創設して以来、政治干渉を受けないように発展してきた。政治は、権力闘争の修羅であり、学問は純粋に追求すべき人間学だと考えられてきたからだ。
 中国では、科挙といわれる独特の厳しい官吏登用試験があって、門閥とはべつに官吏が採用された。このため、西洋の「アカデミー」を訳す際「翰林院」という言葉をあてた。
 翰林院は、学問の場というより、学者や高級官僚たちを集めた皇帝の諮問機関のようなもので、皇帝の「勅書」の起草や記述などを行った。学問好きだった唐の玄宗皇帝が設けたことで知られている。この場合には、政治に近い位置にある。しかし、中国でも長く「竹林の七賢人」ではないけれど、賢人は「臥竜」するものなのである。
 西洋のアカデミーは、貴族社会など政治の干渉を受けもしたが、それらの影響を排除する方向で芸術や文化を高めようとしてきた。
 日本では江戸期、学問所が各地にあったが、政治に近い学問、とりわけ朱子学においては、みるべき成果は何もなかった。むしろ、大坂・緒方洪庵の適々斎塾やシーボルトの鳴滝塾といった蘭学の「私塾」に俊英が集まった。
 保守派の論客、西部邁は「アカデミズムは、山の上に住む世捨て人の仙人のようなのものだ。普段は世の中にまったく知られていないことを、ひたすら研究している変わり者たち。それが、里人が何か困ったとき、意見を述べに山から下りてくる。それは里人のために日々に欠かさず考え抜いてきたからだ」
 学問は、アカデミズムは孤高であり、純粋であって政治とは相いれない。ところが、政治はしばしば干渉したがる。今の政治が我欲に落ちている証左と言っていい。

■政治弾圧
 表立った学問に対する政治介入は、「天皇機関説」を掲げていた美濃部達吉博士に向けられた。美濃部の学説は、当時の常識だったが、右翼議員たちが天皇の権威をさらに高め、その玉座の陰に隠れようとする悪意に満ちた工作をした。
 昭和10(1935)年2月、尊王的で貴族院議員だった美濃部は、右翼議員によってつるし上げにあい、それに同調した政友会が政局にしたため、学説そのものが葬られた。美濃部は「起訴猶予」ではあったが、失意のうちに議員を辞任した。
 大学自治に対する干渉は昭和13年、近衛内閣の文部大臣に就任した陸軍大将荒木貞夫によって始まった。それでなくても、数人の学者たちは、政治がらみで大学を追われていたが、皇道派の荒木が主張したのは、大学の学長を教授会が選ぶのは「天皇の官吏任免の大権をおかすものだ」という理屈だった。「帝大総長は官選とする」と荒木は言い出したが、各大学は一斉に反発した。そうなると、今度は、個別の教授をやり玉に挙げる動きが出た。
 大学の教授たちは、個々に持論がある。一枚岩とはいえない。それにあおられて大学に内紛も起きた。そこが政治につけ入るスキを与えた。
 昭和14年、古代日本史の権威津田左右吉が出版法違反で起訴された。神代史研究が政治の逆鱗に触れた。そこで大学の自由も、学問の自由もすべて失われた。そのあとには戦争が待っている。

■歴史への反省
 ひたすら反省と自虐のために歴史があるのではない。が、現代人の私たちが決して間違いをしないよう、先人たちに学ぶことを怠ってはならない。それが歴史であることはいうを待たない。
 政治が学問に介入する世の中が迫っている。私たちはそれを身近に感じる時代に差し掛かっていることを思わなければならない。新型コロナによって、大学はようやく学内での講義が始まったばかりだ。「学の独立」の大切さ、いまの生活に直面する人たちにとってそれは「どうでもいいこと」にみえるかもしれない。が、それを許すことは、普通の人たちの暮らしを息苦しくする第一歩なのである。それを歴史の教訓は教えている。
 日本のアカデミー組織は、日本学術会議だけでなく、学士院もあるが、純粋に、誰からも干渉されることなく研究に没頭してもらう、そのことが日本のためになる。幼い政治はそこに気付かない。
 学問に国が介入することが当然のようになっている国が世界中にはある。とくに、共産国、独裁国家などでは顕著だ。日本はそちらに近づきたいのか。最近、国の羅針盤が怪しくなってきた。

■任命拒否
 日本学術会議の推薦を内閣に拒否された学者は、東京慈恵会医科大小沢隆一教授(憲法学)、早稲田大岡田正則教授(行政法学)、立命館大松宮孝明教授(刑事法学)、東京大加藤陽子教授(歴史学)、京都大葦名定道教授(キリスト教学)、東京大宇野重規(政治学)の各氏。安保法制など、いまの自民党政治に批判的な見解を表明した学者たちは、内閣が率先して排除しようというわけだ。
 3年ごとに半数が改選される日本学術会議の会員。推薦した京都大学の前総長で霊長類学者として知られる山極寿一前会長(総会で退任)は「任命拒否は日本学術会議の歴史になかったことで重大。大変残念だ。首相に説明を求めている」と退任の言葉を述べた。
 会員の中からは「政府が学問にも口を出すという宣言だ」との声が上がった。この国の政治は、本当に大丈夫なのか。
 経済の自民党と言われながらも、コロナ禍で先行きは不透明だ。いまはただ、財政出動だけで株価を維持しているだけで、失業率も高くなってきた。安定感も自由も失われたら、自民党の取り柄はどこにあるだろう。
 「ものいわば唇寒し」に向かおうとしているようで、何やら背筋が寒くなる。それが、中国、台湾、南沙などの極東の不安定要素とリンクしていそうな気がするのは、思い過ごしだろうか。
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