人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)

再び高まる「新平待望論」(震災復興に続き新型コロナでも)

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tanko 2020-3-9 10:10

後藤新平肖像(金ケ崎町出身・柴田直見氏作)

 新型コロナウイルス感染症のニュースが連日伝えられる中、水沢出身の政治家で医師でもあった後藤新平(1857〜1929)の功績に再び熱視線が注がれている。日清戦争直後、中国大陸から帰還する数多くの日本兵への「大検疫事業」の命を受けた新平は、不眠不休でリーダーシップを発揮したと言われている。間もなく9年を迎える東日本大震災の復興の在り方に関する議論や主張などでも、関東大震災(1923年)後の帝都復興計画を立案した新平の仕事ぶりが取り上げられた。国家的な危機に伴って再評価されるという“皮肉さ”はあるものの、新平のような手腕を発揮する人材の登場を待望する声は少なくない。
(児玉直人)

 新平が生涯残した功績は多岐に及ぶが、最近注目されているのが125年前に実施された日清戦帰還兵の大検疫事業だ。
 当時、戦地となった中国大陸ではコレラなどの感染症がまん延。コレラは感染力が強く、大勢の兵士をそのまま帰還させれば、国内で大流行を招くと懸念された。
 そこで大陸への出征・帰還玄関口だった広島港付近などの島に、大規模な検疫所を設ける構想が浮上。陣頭指揮を執ったのが新平だった。臨時陸軍検疫部事務局長として、似島(広島県)、桜島(大阪府)、彦島(山口県)に検疫所を整備。このうち広島港から5kmほど離れた似島検疫所は、わずか2カ月で完成させた。
 新平は施設建設とともに、検疫作業の流れなども確立。罹患者の隔離と治療はもちろんだが、衣服や所持品にも目を光らせた。たとえ健康であっても、衣服などにコレラ菌が付着している可能性も拭えず、必ず消毒液が入った風呂に入り、持ち物は全て蒸気かホルマリンで消毒、もしくは焼却処分する徹底ぶりだった。


写真=後藤新平記念館が所蔵する似島検疫所の全景写真

 現在、似島には建物の基礎部分などが遺構として残る。検疫所の敷地だった場所には新平の銅像もあるという。
 水沢大手町の後藤新平記念館(佐藤彰博館長)には、検疫事業に関連した資料や当時の記録をまとめた書籍などがある。同館の佐々木菖子・学芸調査員は「公衆衛生や予防医学といった西洋の知識を愛知県医学校時代に師匠のアルブレヒト・フォン・ローレツ医師から学んでいたことが、のちに大検疫事業という形で生かされたと思う」と話す。
 新平の検疫事業における功績が注目され始めたのは、インターネットのニュースサイトで2月中旬ごろに取り上げられてから。その後、ラジオの全国番組や県内の民放テレビ局でも紹介。会員制交流サイト(SNS)などを通じて、さらに広く知られるようになった。SNSの利用者の中には、新型コロナに関する対策の混乱ぶりを嘆くかのように「令和の後藤新平はいないのか」といった趣旨のコメントを書き込む人も。
 当時と今とでは、国内の衛生環境や医療技術、政治・行政の仕組み、人権などに関する考え方も異なる。似島などでの大検疫事業と今回の新型コロナ対応を一概に比較することはできないものの、状況を的確に把握し必要な手だてをスピーディーに講じていく新平の仕事ぶりにあらためて共感した人は多いようだ。
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