人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)

旧椎名邸など解体(水沢区吉小路)

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tanko 2018-2-4 18:50
 奥州市は、政治家・椎名悦三郎氏(1898〜1979)の旧邸宅などが残る水沢区吉小路の市有地で、建物類の解体工事を進めている。外務大臣や自民党副総裁などの要職を務めた悦三郎氏、衆参両議院を務めた次男の素夫氏(1930〜2007)を知る人たちにとっては、思い出深い場所。敷地一角にある悦三郎氏の胸像などは、そのまま残される。素夫氏は生前、「水沢3偉人」などの顕彰の場になることを望んでいたといい、地元住民らを中心に有効活用を願う声もあるが、市は当面、公有車の駐車場にするという。

 市財産運用課によると、解体しているのは悦三郎氏が暮らしていた邸宅と、後援会の会合などに使われていた「清和会館」、悦三郎氏の実弟で元県議の故・後藤五郎氏の邸宅、市道に面していた門など。作業に先立ち、市は地元への説明を済ませており、歴史的価値のある遺品や文献の有無などについても、市教育委員会歴史遺産課が調査したという。
 悦三郎氏は旧商工省総務局長などを経て、1955(昭和30)年に衆院議員に初当選。官房長官、通商産業大臣、外務大臣、自民党副総裁などの要職を歴任した。市民運動の形で浮上した東北新幹線の「新水沢駅」誘致にも携わり、悦三郎氏の死後、水沢江刺駅として実現している。悦三郎氏の地盤を引き継いだ素夫氏は、生まれも育ちも東京だが、水沢入りした際には邸宅で過ごすこともあったという。
 清和会館前には悦三郎氏の顕彰碑や胸像がある。胸像は馭年の悦三郎氏生誕100年を記念し建立したもので、台座の銘版は韓国の外務部長官を務めていた李東元氏(1926〜2006)が揮毫。李氏は、悦三郎氏が外相時代に取り組んだ日韓条約締結交渉の際、韓国側の外相を務めていた。
 悦三郎、素夫両氏をよく知り、自らも新幹線駅誘致に奔走した同区新小路の箱崎清高さん(84)は「最近は建物がぼろぼろになり雑草も伸び放題。前を通るたびに忍びなかった」と語る。
 吉小路は高野長英や後藤新平、斎藤實の「水沢3偉人」の誕生の地。旧椎名邸前の市道は「偉人通り」の愛称で呼ばれ、年に一度顕彰イベントが繰り広げられている。箱崎さんによると、素夫氏は市に土地や建物を寄贈するに当たり、地元支援者らからのアドバイスもあって、3偉人を顕彰するための場としての利用を望んでいたという。
 市財産運用課は、地元から有効活用を望む声があることを認識しながら「当面は、公用車の駐車場として使いたい」としている。

写真=解体工事が進む旧椎名邸や清和会館などがある水沢区吉小路の市有地。写真右側に見える悦三郎氏の胸像などは残される

※補足…椎名素夫氏が代表を務めていた国際経済政策調査会(PSG)は1999年「加速器科学研究会」を設置。以来、ILCに関する情報収集や学習機会を設けていた。
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