人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)

緯度観測所 支えた人々に焦点(明治〜昭和初期 ガラス乾板写真公開)

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tanko 2017-3-3 20:50

写真=緯度観測所本館(現・奥州宇宙遊学館)前で撮影された集合写真(A…木村栄初代所長、B…川崎俊一2代目所長、C…山崎正光技師、D…池田徹郎3代目所長、E…平三郎技師)

 奥州市水沢区星ガ丘町の国立天文台水沢VLBI観測所(本間希樹所長)で保管されていたガラス乾板写真を復元し、地域住民らに公開する特別写真展「ガラス乾板写真とともに語り継ぐ緯度観測所を支えた人々」は、4日から同観測所に隣接する奥州宇宙遊学館で開かれる。昨年実施した展示会の第2弾。同観測所の前身「緯度観測所」で働いていた人物に注目し、来場した地域住民から情報を得ながら、どのような人たちが観測を支えていたのかを解き明かしていく。5日まで。

 国の科学研究費(科研費)を活用した「国立天文台水沢収蔵史料から読み解く緯度観測所120周年」と銘打った事業。国立民族学博物館=大阪府=の文化史料研究センターでプロジェクト研究員を務める馬場幸栄さんが中心となり、同天文台と同遊学館の協力を得て推進している。
 ガラス乾板は、ガラス板表面に写真乳剤(感光物質)を塗ったもので、フィルム写真やデジタルカメラの登場でほとんど見る機会がなくなった。明治から昭和初期の同観測所では、天体写真のほか、周囲の景色や職員なども一緒に記録していた。
 馬場さんらによって見つけられたガラス乾板は550枚。前回は敷地内の建物や景色も紹介したが、今回は人物写真にスポットを当てる。乾板は劣化が進むため早期に復元保存する必要がある一方、撮影されたのが明治から昭和初期とあって、当時を知る人が存命のうちに聞き取り調査をしなければ記録する意味がないという。
 復元したものの中には、初代所長でZ項発見に貢献した木村栄博士と研究者、技師、着物姿の女性職員の集合写真がある。その中には2代目所長の川崎俊一氏、3代目所長の池田徹郎氏、技師の平三郎氏と山崎正光氏も写っている。平氏は、緯度観測用眼視天頂儀の接眼レンズに天体位置基準線となるクモの糸を張り付ける名人として知られており、高知出身の山崎氏は日本初の彗星発見者として天文学史に名を残している。
 「このほかにも『これはうちのおじいちゃん、おばあちゃんだ』という人もいるかもしれない」と馬場さん。それぞれの人物を解き明かしていくことで、「緯度観測所がどんな立場の人たちによって支えられていたのかを記録してきたい」としている。
 展示会は4日が午後1時から同5時、5日は午前10時から午後5時まで。初日の午後1時から馬場さんによる講演も行う。展示会の観賞は無料だが、館内の常設展示コーナーに入る際は入館料が必要。
 問い合わせは同遊学館(電話0197・24・2020)へ。
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