人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)

特別寄稿「科学の社会貢献」(栗木雅夫・広島大学大学院教授)

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tanko 2017-2-20 13:10

東西冷戦終結と失われた“特権”
 私が大学院生として米国に滞在していた1993年、米国議会はSSC(超伝導超大型加速器=Super-conducting Super Collider)の建設中止を決定した。
 SSCは超伝導加速器による周長86.6kmの陽子衝突型加速器で、スイスの欧州原子核研究機構(CERN)が運営する実験施設LHC(大型ハドロン衝突型加速器=Large Hadron Collider)の約3倍の規模、重心系衝突エネルギーを目指したものである。SSCのライバルだったLHCはその後、物質に質量を与えている素粒子「ヒッグス粒子」の発見(2012年)など、華々しい成果をあげているのはご存じの通りだ。
 SSC中止の最大の原因は、建設コストの増大である。当初5000億円(44億米ドル)だった建設コストは、最終的に1兆4000億円(120億米ドル)まで跳ね上がったといわれている。中止は建設開始後であり、すでに2000億円以上が支出され、トンネルも27km近くが掘削済みであったが、計画の中止とともに、すべて埋め戻された。
 計画中止の直接の引き金は建設費の問題であったが、より根本的な原因は、米国の物理学者スティーブン・ワインバーグが指摘するように冷戦の終結である。米国と旧ソビエトの冷戦は軍事力だけではなく、経済、科学、文化とあらゆる面で大きな影響を与えていた。自らの優位を示すために、あらゆる機会をとらえて、採算を度外視した投資がなされており、アポロ計画なども例外ではない。
 これは有名な話だが、米国フェルミ国立加速器研究所の初代所長ロバート・ウィルソン(1914〜2000)が、大型加速器建設予算について議会の公聴会に呼ばれたとき「加速器による研究の成果は、米国の防衛に貢献するのか」と問われた。彼は「残念ながら、加速器による研究の成果は米国と同盟国の防衛にはまったく貢献できない。しかし、米国は守るに値する国になる」と述べたといわれている。その後、フェルミ研究所の予算は無事承認されている。
 このように1960年代は、科学はある種の特権を持っていた。SSCの中止は、その特権がもはや無くなったことを明確に物語っていたのである。

CERNに見る科学と平和構築
 SSCが中止された一方で、ISS(国際宇宙ステーション=International Space Station)や前述したCERNのLHCは、巨額な予算にもかかわらず推進されている。その差は何なのだろうか。ISSには将来の宇宙開発の利益に対する期待があるが、LHCは純粋な基礎科学で、利益には結びつかない。
 CERNは1954年に設立された国際機関で、欧州を中心としたメンバー国の支出により運営されている素粒子物理学の研究所である。その設立趣旨は、戦争により荒廃し立ち遅れた欧州の物理研究を復興し、戦勝国と敗戦国の科学者が協働する場所をつくり、それにより地域の平和を構築することにある。"Science for Peace"(平和のための科学)がCERNの基本理念であり、浅薄なナショナリズムなどとは異なる原理でCERNは運営されている。
 1954年の当時と様相はかなり異なるが、欧州、そして世界は、決して平和にはなっていない。1990年代の軍事専門家が指摘したように、戦争は国家間の争いから、地域のより細分化された紛争の多発という新しい位相へと移行したように見える。CERNの存在意義は、むしろ強まっているとも言える。
 ELI(Extreme Light Infrastructure)という大強度レーザー開発プロジェクトがEU(ヨーロッパ連合)の主導で進められている。ソビエト消滅の影響により沈滞する東ヨーロッパ地域の研究の振興と、進展著しいレーザーをはじめとする光源開発を戦略プロジェクトとして推進することを目的としている。科学による地域振興という手法は、欧州では普通のことである。
 東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構の機構長・村山斉氏(素粒子理論)は2014年10月、国連本部での演説で次のように述べている。
 「私たちは地球という名前の小さな岩の上に住み、その岩は太陽と呼ばれるごくごく平均的な星の周りを公転し、太陽は天の川銀河の中心から2万7000光年離れた田舎にあり、天の川銀河は観測可能な範囲の宇宙にある1000億個の銀河の一つだ。大きな目で見ると、われわれの間の違いはとても小さく見える。新聞で毎日のように読む戦争、紛争、悲劇、貧困、疫病について、違った見方をさせられる。この小さな岩の上に住む私たちヒトという生物は、手を取り合って行動することができるはずだ」
 村山氏は人間の可能性を論じるとともに、CERNをはじめ中東ヨルダンで建設中の放射光施設SESAME(Synchrotron-light for Experimental Science and Applications in the Middle East)などでは、現実に敵対する地域の研究者が協働し、平和の構築に向けた力になっていることも説いた。
 さらに「世界にはCERNのような場所がもっとあるべきだ。個人的には、アメリカや日本がこうした基礎科学のための国際組織をホストしてほしいと思っている。特に子どもたちを含め、近辺の住民がグローバルな視点を持つようになる。このように科学が、惑星地球の平和と発展に貢献できるよう、私も努力していく」と、国際的な研究拠点の必要性を強調している。

ILC誘致の根本的な意義
 広島は原爆が実際の戦闘で使用された初めての地であり、私が所属する広島大学は世界平和構築への貢献をポリシーとしている。
 基礎科学は直接的には平和とは何の関係もなさそうに見えるが、物理、そして広く科学の価値観とは、ユニバーサル、すなわち世界は単一であるとする考えであり、実は平和を希求する精神そのものである。その目で世界を見渡してみれば、いまだに米国は古いパワー・ポリティクス(権力政治、武力政治)から抜け出せておらず、少なくとも巨大科学の分野では存在感を急速に減らしている。それに対し、存在感を相対的に増大させるのが欧州である。
 現在、日本は国際リニアコライダー(ILC=International Linear Collider)という国際科学プロジェクトの建設候補地となっており、私も日本政府が正式にこの計画に乗り出すことを心待ちにする一人である。この計画は、全世界が協力して推進している次世代の素粒子物理学の大型加速器であり、それが実現すれば、CERNに匹敵、いやそれを上回る研究施設となる。世界から研究者が集結する拠点は、ユニバーサルな文化を醸成し、日本や地域の発展のみならず、村山氏が述べるように平和構築にも貢献できるはずだ。
 かつて東アジア共同体が提案された時期もあったが、最近は領土問題や軍事問題など、きな臭い話題がこの地域には多い。しかしかつての欧州は、それを上回る反目、敵対、惨禍に満ちており、現在のようなEUによる統合など夢物語であったろう。
 欧州にできて東アジアにできないという理由はどこにも無い。科学がその嚆矢となることができれば、これ以上の社会貢献があるだろうか。

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 くりき・まさお=1968年、東京都豊島区出身。1996年、東北大学大学院理学研究科原子核理学専攻博士後期課程修了。東京大学原子核物理研究所研究員、高エネルギー加速器研究機構(KEK)助手、広島大学大学院先端物質科学研究科准教授などを経て、2009年から同科教授。研究分野は加速器科学。日本加速器学会誌編集長。ILCを推進する国際研究者組織リニアコライダー・コラボレーション(LCC)では、粒子源グループ副リーダーを務める。趣味は鉄道と登山、ランニングで、5月開催の「奥州きらめきマラソン」にも出場予定。

写真=昨年7月に一関市で開かれた地元中高生とILC研究者との交流会で講演する筆者(右)
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