人類史上初ブラックホール撮影に貢献した国立天文台水沢VLBI観測所は、120年の歴史を誇り今もなお世界とつながっている観測拠点。奥州市東部が候補地となっている国際リニアコライダー(ILC)の話題とともに、岩手県奥州市、金ケ崎町における科学やそれに関連する地域の話題(行政・産業経済・教育・まちづくり・国際交流など)を随時アップしていきます。(記事配信=株式会社胆江日日新聞社)

寄稿「自治体は地域の“縁”を見つめた地域づくりを」 千坂げんぽう(一関市萩荘、僧侶)

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tanko 2023-3-24 11:00
 私が属する禅宗寺院では、玄関に「照顧脚下(しょうこきゃっか)」(足元をしっかり見つめよ)という戒めの木札などが掲げられていることが多い。これは周囲の環境である「縁」と自己との関係を見誤ることなく、真の自己を確立するために絶対的な自己を見つめよということである。
 そのためには、自己と他者との区別を越えた智慧(さまざまな「気付き」)を求めることが大切である。私は修行道場で指導者の老師から絶えず「知識を捨てろ」と叱咤激励され続けた。大学院まで知識偏重の環境に浸っていた私にとって、大変苦労させられた時期でもあった。
 故郷に戻り地域づくりにも関わった私は、地域のありよう、すなわち「縁」を自己に置き換えて取り組むよう努めた。ところが、地域や郷土の姿をとらえようとすると、目前の生活に縛られ全体像が見えてこない。
 郷土の自然環境は絶えず変化しており、世界的な気象現象とも無縁ではない。そして人々の生活についても、国が関わるグローバルな貿易体制、国の政策などが何らかの形でつながり影響している。そうい意味からも、各種機関が数字で示す指標や評価値は、地域づくりを考える上でも大変参考になる。


 私たちの国の豊かさを示す指標は、資本の国際的流動性が増したためか、国民総生産(GNP)ではなく国内総生産(GDP)がより正確に表されているとされる。日本のGDPは2009年まで米国に次ぐ2位だったが、2010年に中国に抜かれた。数年後にはドイツに抜かれ、4位になるだろうとされる。1人当たりのGDPも年によって変動するが、最近は27位から30位で、韓国と同等または抜かれている状況である。
 かつての高度経済成長期、日本は貿易で稼ぎ、効率の悪いものは輸入すればよいという“信仰”に毒されてきた。そこでは食料安全保障の観点が完全に抜け落ちていた。これは敗戦後、米国の占領政策「ドッジ・ライン」や支援物資(ララ物資)で日本が大変救われたことにより、その後、米国が食料を安全保障の手段として位置付けたことに全く無関心になったのが大きな要因である。合わせて日本が裕福な国となり、国民が食料自立に関心を持たなくなったのも大きい。
 日本の食卓は小麦など米国依存になる危険性があった。だが、それを顧みず過ごしてきたため、現在の小麦、穀物肥料、牛肉価格の上昇に悩まされることになった。
 高度経済成長の実現により生まれた成功体験が、あしき影響を与えているのは、食料や農業分野だけではない。電気自動車(EV)や太陽光パネル、半導体などでも他国に後れを取ってしまった。得意だった電気機器も貿易赤字に陥っている。
 日本衰退に至っているもう一つの大きな原因は科学分野、特にも大学における科学研究の軽視だ。国は行財政改革の名の下に、国立大学が比較的自由に使える運営費交付金を2004年から毎年1%ずつ減らした。現在では当初の1割、約1500億円が消えている。岩手大学の運営費交付金は70〜75億円なので、岩手大学に相当する大学20校分が減らされたことになる。
 講座の維持が困難な大学が多くなり、民間会社や研究所と兼務する客員教授が増加。若手研究者は5年間などの任期付き採用をするしかなく、落ち着いて研究に没頭できる状況が阻害されている。先進国で科学技術予算が横ばいなのは日本だけといってよい。
 このような背景があり、日本の研究者数減少と研究の質低下が著しい。科学技術論文の指標として「注目度の高い論文数ランキング」がある。科学雑誌『ネイチャー』や『サイエンス』などに掲載された論文が、他の研究者にどれくらい引用されたかを示すもので、日本は昨年、韓国に次ぐ12位だった。


 日本における経済力の衰退、科学技術予算の貧弱さが顕著という状況にある中、本体だけで約8000億円という巨大プロジェクト「国際リニアコライダー(ILC)」を日本の岩手に誘致し、実現できると考える人たちは、1980年代後半から始まった経済のバブル化のような、浮かれた金銭感覚の持ち主ではないかと感じてしまう。世界的視点で日本が置かれている「縁」を直視し、今まで保持してきた矜持を捨て、過去の失敗事例を学ぶことが、今の日本に必要とされているのだ。
 特に予算などの見通しについては、より厳しいものが求められている。これまでも巨大事業の実施主体は、国などの認可や補助金を受けたいがため、現実的ではない楽観的収支見積もりを提出することが常態化していた。
 例えば仙台市営地下鉄(南北線)は開業当初、1日当たりの平均利用客数を23万人と過大に評価したが、実際は約11万人とかなり下まわり、市が補助金で穴埋めしたという。東京五輪に関しても、当初予算の何倍かかったか公表すらしていない。北海道新幹線の新函館北斗〜札幌間の建設事業費は、物価上昇による資材費高騰のため当初予算より6450億円も増えると発表された。
 昨今のエネルギー価格高騰と円安は、自治体予算にも影響をもたらしている。仙台市では2022年度会計において、庁舎や公立学校、ごみ焼却炉などの運営経費不足分として、約16億8000万円の補正予算を組まざるを得なくなっている。
 とすれば、ILCの本体価格約8000億円という数字自体についても、うのみにせず疑うべきである。
 仮にILCが実現した際、それに係る研究者は当初約20人で、その後、百数十人になるという。しかし、冒頭に述べたように国が研究者養成を冷遇しているので、素粒子物理学という特定分野に関係した研究者、技術者を集めるのは困難であろう。外国人研究者も給料が安い日本に来るはずがない。まして家族を連れてくることもあり得ない。優秀な日本人研究者は、給料が安く立場が不安定な日本を捨て、給料が高く研究の自由度が高い中国に吸い寄せられているのが実態だ。
 このような状況を知れば、ILC誘致推進者たちが吹聴する「ILCが実現すれば国際科学都市ができる」などの発言は、信ぴょう性に欠けると言わざるを得ないのである。
 岩手県はILC誘致推進運動費に10年間で約30億円支出しているらしい。さらに担当職員の人件費は延べ約2億円はかかっていると推定される。無駄とも思える今までの支出や人材利用の責任は、とりあえず免罪しても、財政事情がますます厳しくなる今後は、とても許せるものではない。厳しい財政事情だからこそ、国の財政力や科学技術関連予算、国際的な科学を巡る情勢などを分析して意思決定する「証拠に基づく政策判断(EBPM)」が求められるのである。


 では、私たちの岩手県はこれからどうすればいいのか。民間で使用しているマーケティング理論のSWOT(強み、弱み、機会、脅威)により、岩手県の置かれている環境、条件をリアルに見つめるべきだと考える。岩手の強みは農林水産業とともに、観光である。
 先日、ニューヨーク・タイムズに掲載された「今行くべき52の場所」に、盛岡市が選ばれた。一方、盛岡市は某企業がインターネットで調査した「住み続けたい街・自治体ランキング」で県内1位となっている。
 どちらも盛岡市を高く評価しているように見えるが、果たしてニューヨーク・タイムズに掲載された外国人の評価と、「住み続けたい街」のランキングは、同じ価値観で結びあっているだろうか。
 ニューヨーク・タイムズの記事で高く評価された事柄の一つに、「落ち着いた街の雰囲気」というのがあった。「住み続けたい街」のほうは、福祉や医療、買い物のしやすさ、遊ぶところが充実しているという面が評価されている。
 この二つの「評価」の違いを象徴する出来事が実際に盛岡市で起きている。盛岡城三ノ丸跡にある桜山神社と参道には、外国人が喜ぶ風情ある街並みが残されている。ところが盛岡市は、活性化のために区画整理を行うとして論争を呼んだ。昔ながらの雰囲気を残すべきだとする住民や当該地区を愛する多くの反対の声により、今も何とか残っている。
 合理化だけを考える行政の姿勢は、インバウンドの重要性が叫ばれ、観光の重要性が増している状況を軽視している。活性化と落ち着いた街の雰囲気をどう調和させるかが問われる時代となったことを、行政は猛省すべきである。


 岩手の「弱み」とは何であろう。以前は「大都市から遠い」という点がよく挙げられていたが、高速交通網の進展と情報化の到来により、深刻な弱みではなくなった。
 私は、チャンスをつかもうとする県や市町村行政当局、そして議員、県民の力不足が今の「弱み」であり、岩手の地域づくりにおける最大の問題だと考える。それなのに、多死少子化による人口減と、財政難と言う危機を真剣にとらえず、「巨大プロジェクト誘致が実現すれば全てが解決する」と安易に考えているとしか思えない。危機を乗り越えるためには、岩手の「強み」「弱み」「機会」を徹底的に分析し、それらを踏まえた政策を模索すべきである。
 岩手県当局とともに、一関市と奥州市はILC誘致運動に前のめりの自治体である。特に一関市は前市長時代にまちづくりの2本柱の一つにILC誘致を挙げ、潜在的資源を掘り起こそうとする意識が欠けていた。一関市、奥州市とも昨年市長が交代したので、この機会に市民が住み続けたいと思うまちとは何なのか、徹底的に掘り下げてほしい。岩手県当局も基礎科学の一分野に過ぎないグループが企画するプロジェクトに振り回されることなく、しっかり農林水産業振興などに取り組むべきである。


 一関市、平泉町、奥州市は「束稲山麓地域」で世界農業遺産取得を目指した。今年1月に“日本版”の日本農業遺産に認定され、それを喜ぶ報道がなされた。しかし、世界農業遺産取得という本来目的を残念ながら3度挑戦し全て落選したという事実、その原因を深く反省しなくてはならない。
 日本版の認証が、世界版の認証に至る――とは必ずしも言えないと私は考える。新聞で知る限りの印象だが、国連食糧農業機関(FAO)が求めている「農業生物多様性」「多様な主体の参加」に、当該地域は欠ける点が多かったのではないかと思う。
 生物多様性は気候変動(温暖化)と並び、地球的課題として捉えられている。環境破壊がさほど進んでいない岩手県の各自治体は、生態系保全、生物多様性保全の取り組みで最も期待されていると言える。
 しかし、自治体が持っている生態系や生物多様性に関する知見、ノウハウは限られている上、専従する担当部署がない所も多いのではないか。FAOが要求する「多様な主体」という条件を充実させるため、農業に係る人材だけでなく、各方面の研究者、NPO法人などの人材活用が求められるであろう。


 一関市、平泉町、奥州市は私が最も愛するまちである。それゆえ行政不作為の象徴とも言えるILC誘致などで騒いでいる間に、地域が持つ「強み」が生かされず、ずるずるとまちが衰退していく姿を見ることは残念でたまらない。
 行政の姿勢を変えるためにも、私たち市民は、行政や議員任せではなく、また自分の利益だけを追求するのではなく、将来世代まで「すばらしい郷土」を残そうとする自分たちの意識改革を行うことが望まれるのである。

(※千坂氏の名前の「げんぽう」の漢字表記は、「げん」が山へんに諺のつくり、「ぽう」は峰)
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